Walking Up to the North

2017年12月より現在途切れ途切れに進行中
栃木県足利市の自宅から福島県福島市まで歩く旅と紀行文です


Walking Up to the North, 1st day, from Ashikaga to Tochigi

2017年12月18日
noteに掲載

北へ歩こうと思い立った。そのいきさつはここでは省略するが、足利の自宅をスタートに、いちおうゴールは福島を想定している。勤め人の身分ゆえ、途中の中断はいくらでも可とし、達成できずとも自分に拍手をおくるつもりである。

記念すべき第1日目は昨日、つまり2017年12月17日(日)となった。土曜日に仕事をし、帰ってきたらだいぶくたびれていたらしく、ちょっと横になるつもりが気づいたら夜中の2時になっていた。歯を磨いて寝なおす。朝は5時半に起床し、腕立てをしたあとにスパゲティを茹でて食べた。その後朝風呂に入って体を清め、小さいカバンに荷物を入れて出かけた。朝の8時過ぎだった。

まずは渡良瀬川沿いに出て、福猿橋を渡る。そのまま川沿いに歩き、東足利自動車教習所の横を通って旧50号に出た。朝は陽光がまぶしく、河原を歩くのはなかなか劇的だった。旧50号から佐野を目指す。クルマで何度も通っている道だが、やはり歩くとそれなりに距離があり、かのあしかがフラワーパークまでなかなか着かない。途中にコンビニもなく、淡々と歩く。クルマも少なく、平和な日曜である。富田駅でトイレに寄った。こういうときに駅の外トイレはうれしい。その後寺岡でなじみのコンビニにたどり着き、パンとコーヒーを買って一休みした。

佐野市内に入る。10時ごろ大橋町の交差点を通過してほどなく、歩道でお財布が落ちていた。放っておくほど忙しいわけでもまさかなかったので、交番に持っていった。交番に警官がおらず、呼び出したり拾得の手続きをしたりしているうちに1時間が過ぎた。11時ごろ解放され、再び歩き出す。その日の夜に落としたひとからお礼の電話があった。

佐野の富岡で再びコンビニ休憩をとる。このまま岩舟を目指す。少し上り基調となるが、まあ問題ないだろう。問題といえば歩道があったりなかったりしたことくらいだが、昼間なので度胸で歩く。岩舟まで佐野から7キロくらい。歩きでは近いとは言い難いが、これも自分でやっていることなので、心を落ち着けて歩き続ける。

それなりに辛抱したところで、道路沿いのコンビニに着いた。お昼なので少し多めに補食を買い、駐車場の車止めに腰掛けて休憩する。今回素足にスニーカーを履いているのだが、座ると足首が露出して寒い。トマトジュースでビタミンを補給する。

和泉の交差点で旧50号にさよならし、いよいよ栃木へ向けて北上する。ルートは県道11号。栃木まで9キロの標示あり。日当たりがよくなり、歩道も広くなったので、まあ死ぬことはないだろう。山の景色など見ながら、重たくなってきた足を奮い立たせる。途中コンビニを発見するも、スルーした。スルーすると今度はなかなかコンビニがなく、ややハンガーノック気味になりながら進む。風は冷たい。大平に入ると道路沿いのお店が増えた。が、大型ショッピングモールには寄る気になれず、これもスルー。やっと見つけたコンビニで休憩。イートインコーナーで座る。ゴールは近い。

東武日光線の線路が近づく。県道11号線がかぎ状に曲がる。線路沿いに歩いていく。栃木駅が近づく。特急スペーシアが駆けてゆく。足首が痛む。

15時20分に栃木駅北口のロータリーに着いた。電車は16時10分くらいの予定だったので、喫茶店に寄ってキリマンジャロを呑んだ。その後ぼくは溝の口(川崎市)で用事があったため、電車に乗って南下したのだった。


Walking Up to the North, 2nd Day, from Tochigi to Utsunomiya

2017年12月25日
noteに掲載

12月24日(日)に北へ徒歩旅行の企画は再開された。5時30分に起床。スパゲティを茹でて食べる。コーヒーは切らしているので白湯に塩。栃木まで電車で行くつもりなので6時45分ごろ家を出た。

JR足利駅まで自宅からやや距離があり、朝の寒さも災いして途中で気持ち悪くなった。福寿大橋を渡ったところで仮設トイレに駆け込む。本当は7時25分の電車に乗りたかったのだが、大幅に遅れ7時59分の電車に乗った。電車の中で岩波文庫の『茨木のり子詩集』を読んでいた。

8時半を回って栃木駅から徒歩旅行再開。天気は曇りでものすごく寒い。前回同様素足にスニーカーを履いており、しかも前回より気持ち丈の短いジーンズのために、足首がむきだしである。すぐにトイレに行きたくなり、コンビニに寄った。

まずは壬生へ向かう。栃木から7キロくらい。県道2号で行けば道幅も広いが、たまたま次に寄ったコンビニが旧道との分岐にあったため、そのまま旧道で壬生方面へ。おおむね東武宇都宮線沿い。歩道はない箇所が多いが、クルマがあまり通らず見通しもよいので、轢かれる心配はなさそうだ。

思川にかかる橋を渡ってしばらくすると、再び県道2号にぶつかる。ここからおよそ20キロの道のり。県道2号は片側2車線で歩道もあり、お店もちらほらあるので、よほどのことがないかぎり休憩には困らなさそうだ。腰をすこしひねりながらリズミカルに歩いてみる。今度はクルマで行くのも悪くはなさそうだ。ぼくは宇都宮にあまり行く機会がなく、よく街を知らない。

壬生バイパスを抜けてさらに北へ。途中で寄ったホームセンターでLEDライトを買ってみる。どこから電池を入れたらよいものかさっぱりわからず、不満顔でバッグにしまいこんだ。お昼も近くなってきた。獨協医科大学が見えてきた。

結局独協手前にある黄色い看板のファミレスで休憩をとることにした。意外と疲れていて、座るとすぐ眠くなる。お店は混んでいて、特に小さな子どもを連れての家族が多い。幸か不幸かあまりゆっくりできなかったため、食事を済ませるとコーヒーも呑まずにお店を出た。あと10キロ強。

正直体はあまり回復しなかったが、気温が上がり、少し日も差すようになったので、もうすこしがんばることに。宇都宮環状線である国道121号を過ぎるとぐっと街らしくなってきたが、さすがに市街地のエリアが広く、なかなか中心部にたどり着かない。足の皮も腫れはじめ、ペースはぐっと落ちた。平成通りとぶつかる交差点で最後の休憩を入れ、一服つける。

一条2丁目の交差点を曲がり、東武宇都宮駅へ。夕暮れの宇都宮市街は、巨人のような風格だった。東武デパートを過ぎて突き当りを右へ曲がり、JR宇都宮駅へ足をひきずっていく。意外とJRの駅まで距離があり、しんどかった。日没。疲れのせいか寒く感じた。街はにぎやかだった。だがそのにぎやかさを受け入れるだけのゆとりがぼくにはなかった。街はまた今度にしよう。今日は去ろう。そう思いつつ夕方5時になるすこし前、ぼくはJRの駅にぼろきれのように引き寄せられ、そのまま電車に乗って南下した。


Walking Up to the North, 3rd Day, from Utsunomiya to Nishinasuno

2017年12月30日
noteに掲載

北へ徒歩旅行の企画も3日目をむかえた。歩いたのは昨日、12月29日金曜日のことだ。この記事は自宅で暖房をかけて書いている。わたしはこの冬暖房をつけずに過ごしていたのだが、さすがに昨日不当に体を冷やしすぎたので、暖房を解禁した。

朝は4時20分起床。東武伊勢崎線の福居駅から始発電車で出発して宇都宮へ。因みに館林経由の佐野乗り換え、その次小山乗り換えである。JRの足利駅まで歩くのがいやだったので、最寄駅から乗ることにした。館林に行くのはやや遠回りだが、歩くストレスは減る。

寒空のなか7時ごろ宇都宮駅を発つ。ものすごく寒い。日は出ているものの、まだ全然あたたまらない。すぐにトイレに行きたくなるが、なかなかコンビニがなく、つらい思いをした。スマホで調べ、最寄のコンビニまで走る。なんとかセーフ。朝ごはんが少なめだったので、ここでおにぎりをほおばる。

旧陸羽街道でさくら市をめざす。雪をかぶったクルマを何台か見かけ、不安になる。雨の装備はおろか、雪対策はまるでない。宇都宮をあとにし、景色が広がっていく。鬼怒川を渡り(阿久津大橋)、しばらく行くと国道4号線に合流。氏家の市街地に入る。ファミレスの看板を見るとなんとなく心が落ち着く。

今日の目的地はまだまだ先。すでに3時間くらい歩いているが、気持ちを切らさずに北上。山を見るとすっかり雪をかぶっている。冬だ。歩くのに冬がベストかはわからない。しかし、わたしは夏場に足がわるいので、歩くなら冬しかない。冬でもあやしいくらいなので、冬に歩くことに文句はない。歩いていて困るのは主にトイレの問題くらいだ。

蒲須坂駅付近で4号がバイパスになるため、線路近くの旧道を行く。あまりおなかの調子がよくない。軽い脱水症状にかかっているようで、風邪でもひいたのかと思うくらいだ。コンビニを見つけるたびに休憩する。お昼ごろまで体調はわるいままだった。

矢板市に入る。再び4号と合流。その後ほどなくして東北自動車道の矢板インターを越えていく。先日お仕事で来たところなので、達成感を感じた。さてここからはゆるやかな丘陵地帯となり、景色はいいが、歩くにはスケール感が大きすぎてきつかった。シャープの工場を通り過ぎる(矢板にあるとは知らなかった)。街中でコンビニ休憩。宇都宮から30キロくらいなので、矢板でおしまいにしてもよかったのだが、今日のわたしはもうすこしがんばってみたかったので、足をひきずってさらに歩いた。

林を抜けると東北本線の線路が近くなった。日が傾く。野崎橋を渡り、線路沿いに進むと野崎駅である。4時になるかならないかの時刻。今思うとここでやめとけばよかったのかもしれない。「あと一駅!」の思いで、野崎駅でトイレを借り、再びスタート。

線路近くの道路を歩くが、歩道がなく、白線外側にスペースもほとんどない。昼間で体調がよければべつにかまわないが、足取りは重く、だんだん日が沈んでゆく。そして西那須野駅までけっこう距離がある。何度もスマホで地図を見たが、たいして距離が縮まってないことを確認し、悲しくなった。

いよいよ日が暮れたあと、線路際の道路に乗り換えた。地元の人が散歩をしているのを見かけたので、二車線の歩道のない通りより安全だろうと思った。事故だけは避けたかった。駅はまだ先らしい。ほんとうにペースが落ち、時折柵に手をかけて体を支えないとふらついた。地獄だった。

駅方面から自転車で学生らしい人たちが走ってくるのを見かけ、「駅は近いぞ」と自分に言い聞かせた。国道400号の陸橋をくぐると、駅らしい光が目に入ってきた。

駅が見えるのに駅に着かない。足があがらず、満足に歩けないのだ。足の裏の大きいマメ、そして痛みきった関節と筋肉。

5時20分ごろ、ぼくは駅前で写真を撮って待合室に避難した。待合室の暖房がありがたく感じた。今日が間違いなく今年一番きつい日だった。しばらくふるえがとまらなかった。しばらくまともに歩けないだろう。家に帰ったらウイスキーを呑もう。

あたりまえのことが幸せなのかもしれない。


つづく