前半
2017年5月21日
後半
2017年10月16日
いずれもnoteに掲載
「何度も言うが、潮来駅前の喫茶店は最高である。」
「ぼくはその屋号がカーサというスペイン語ではなく、笠という日本語であることに気づいた。」
「ぼくはコーヒーを呑んだあとに居眠り兼瞑想をした。ぼくは自分が不幸の装いをやめて、裸の不幸とともにあることを感じた。それがぼくには静かな幸せだった。」
スケートボードが入ったリュックを背負い、5時にもならないうちに自宅を発った。5時15分ごろ東武線の福居駅から電車に乗った。館林駅から特急のりょうもう2号で北千住駅まで高速移動をしたために、7時半過ぎには土浦駅に着いた。
朝食を北千住で購買していたが、常磐線がなかなか混んでいて食べる機会がなかったために、土浦駅駐輪場隣の「サイクルステーション」で食べることにした。食べ終わると近くのコンビニで水や補食を買い込み、8時ごろ湖に向かって歩き出した。
湖岸のサイクリングロードまでは駅から2キロ強くらいだった。リュックからボードを取り出し、右足をのせる。ボード・トリップの始まりである。しばらくはクルマも時折通過する。釣りで来ている人が多いみたいだ。土浦が徐々に遠くなる。日差しが強く、夏日だ。淡々と地面を蹴る。サイクリスト達がやはり多い。ぼくもいつもは自転車だ。だが、ボードからの景色も捨てがたい。この独特の不便さも捨てがたい。
休憩が取りづらい。日陰がないのだ。湖岸にはほとんどお店もない。止まって水を飲んだりパンを食べたりしていた。かすみがうら市水族館の手前の公園でジュースを買って飲んだ。自転車より疲れるかもしれない。そこから3キロほどで霞ヶ浦大橋に突き当たり、ボードを抱えて歩いて渡った。
後半戦スタート。お昼はまだ食べていない。途中から路面が悪くなる。ボードはガタガタとうなった。バランスをとるのも神経を使う。風も出てきた。つらい。お昼は道端でしゃがんでカロリーメイトを食べた。あまり休んでいると熱中症になりそうなので、ほどほどにして立ち上がる。視界が広い。湖面は穏やかである。
天王崎公園を通過すると、またクルマの量が増えてきた。疲れのせいか、ふらつきが多くなってきた。時折止まって水を飲む。ここで事故に遭いたくはない。路面&風の状況はよくならず、1度に進行に2度地面を蹴る。潮来市が近づく。他に誰もスケボーの人は見かけない。ぼくも物好きなものだ。
潮来市に入り、更に進む。国道51号線の橋が見えてきた。グッドだ。もうゴールみたいなものだ。橋をくぐり、散歩道の途中にある東屋でしばらく横になった。サングラスを外すと初夏の空が青くまぶしかった。北利根川沿いはカラフルな雰囲気に包まれていた。よいしょと起きて再びボードを転がす。
サイクリングロードに入り、先週歩いていたルートを快走する。駅近くのコンビニに着いたのは15時になる前だ。コンビニでトマトジュースとワンタンスープとたばこを買った。暑いので駅舎に避難し、おやつタイムとした。電車が来るのはまだまだ先だ。
ぼくは駅近くの喫茶店に入り、電車が来るまでくつろいだ。何度も言うが、潮来駅前の喫茶店「笠」は最高である。16時44分の佐原行きの電車に乗り、ぼくは潮来を去った。さわやかな乾いた風がぼくを見送った。
10月15日日曜日のことである。わたしは4時30分に目覚めた。わたしの両親の家で。その日の天気予報は関東はどこも雨だった。わたしは何日もまえから天気予報をチェックしていたからそんなことは知っていた、知りすぎていた。それでもわたしは前夜にスケボーで出かける準備をしていた。父親に帽子と雨具(ズボンのほう)まで借りた。朝起きると外はまったく静かだった。ドアを開けるとひんやりとした空気が入ってきた。きっとこれから雨なのだろう。わたしは食卓においてあったパンをオーブントースターに入れ、牛乳を電子レンジであたため、朝食を摂った。
5時半の電車に乗るために、5時15分には出発した。川崎市民にはおなじみの南武線に乗る。武蔵小杉で乗り換えて、成田空港行きの快速電車に乗る。寒い。腕を組んでしばらく眠る。気がつくと雨が降っていた。わたしはそのまま電車に乗り続けた。成田で成田線に乗り換える。あまり乗り換えの時間がなく、成田線の車両のトイレに入った。電車が動き出す。窓の外はどう考えても雨で、目に入る道路はどこも濡れて光っていた。水たまりもある。駅に停まりドアが開くたびに外を見て雨のふりぐあいを確認したが、フツーに雨である。ショックだった。予報どおりとはいえ、出かけたいときに雨とはショックだった。どう考えてもやみそうにない。
なぜ中止にしなかったのか自分でもよくわからない。スタート地点の潮来駅に着いたわたしはベンチに腰掛けて雨具を着た。駅近くのコンビニで補食を買い、いよいよ雨のなかスケボーを出した。北利根川沿いに霞ヶ浦を目指す。雨の日にスケボーに乗るということは、端的に「板も体もぬれる」ということを意味する。道路の横断などの際に板を持つと、板から水がこぼれていく。わたしは板を持つたびに少しゆすって水をきった。雨具は水をはじいてくれるが、なぜかゆっくりと内側も湿っていくのである。
お世辞にもいい天気とはいえない。わたしは釣り人たちを時折湖岸に見かけた。釣り人がいるということは、まだ湖岸は安全ということかもしれない。ほんとうに危険であるならば湖岸には誰もいないだろうし、クルマも停まっていないはずだ。わたしは地面を蹴った。あんまり生気はなかった。最初の橋を渡ったあとにクルマ用の休憩所があったので休むことにした。トイレのひさしの下でパンなどを食べる。ちなみに滑り出しが8時半ごろで、この休憩所にいたのが10時過ぎだ。西岸の、潮来から見て和田公園の手前の地点である。和田公園(和田岬)を過ぎると、古渡までは大きく入り組んだ箇所はない。わたしは古渡まで飛ばそうと決意した。寒いのであまりゆっくりしていられないのだ。運動して体をあたため続けるしかないように思われた。自分自身がエンジンでありヒーターなのだ。幸いにしてクルマは少なく、路面もそれほど悪くはない。風は吹いていたが、どちらかといえば追い風だ。わたしは波がうなりをたてて打ち寄せるなか、一度に力を込めて2回プッシュして、湖岸を滑り去っていった。
古渡橋のところにコンビニがあることはすでに知っていた。この橋は自転車でもクルマでも通ったことがあるので、このあたりは馴染みの景色だ。昼前にはこのコンビニに着き、小休止をとった。雨は勢いを増していた。ここが行程の半分くらいなので、あとはもう土浦を目指すしかない。このあと湖には大きくせりだした部分があり、ここを回りきれば、あとは土浦までおおむね直線のルートとなる。雨具の中に着ていたシャツが湿ってきていたので、予備のTシャツに替え、再出発した。
国立環境研究所のあたりで道に迷った。このあたりサイクリングロードの標示がなく、はじめてだと迷う。スマホの地図を確認し、再び湖岸へ。眺めがよくなった。波は茶色で荒れてはいたけども。水たまりにはまりながら進んでいく。スポーツ・レジャー的に見れば今日の環境はよくないが、なかなかのペースで滑れた。追い詰められていたのかもしれない。何度か小川を渡るために迂回を余儀なくされる。防衛省技術本部試験場に突き当たると湖岸の道が途切れた。国道125号線に出るが、歩道が狭くボードには乗れない。かなり弱っていて歩くのもつらい。農道を通ってもう一度湖岸に出る。しかしほどなくして陸上自衛隊土浦駐屯地の敷地まで来るとまた国道に戻ることとなった。すぐ近くに予科練平和記念館がある。国道をよれよれと歩く。霞ヶ浦高校のところからもう一度湖岸に出る。迂回ももう勘弁してもらいたい。その後霞ヶ浦総合公園のなかを通過し、水郷橋へと向かう。街も近い。
水郷橋に着いたところでボードを降りた。土浦駅はすぐだ。駅のサイクルステーションで帰り支度をした。15時49分の電車でわたしは土浦を去った。
これ以上ボードに乗るとウツになる気がした。わたしは帰宅してからボードを妹にあげた。ひどくつらい旅だった。ひどくつらい旅をしなくてはならない自分自身がつらかった。そんな自分を波の向こうに垣間見たわたしは言葉を失った。どこまでも不条理な自分がいるものだ。わたしの考えていることなど一瞬で飲み込んでしまうような不条理な自分がいるものだ。
おわり